2015年03月28日

彦根三大問題紀行 後編

 前編からの続き
 彦根城険しすぎ問題
 やっと彦根城にたどり着いた私を待っていたのは残酷な知らせだった。
 『彦根城博物館閉館中』
 ……まあいいか。折角来たんだし見たかったのは事実だが、見れないならそれでしょうがない。しかし工事中とかによく当たるな私は。昔行った姫路城も工事中で天守閣が見れずじまいだったし。
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 天守閣へ行く前に開国記念館なる建物へ入ってみる。そこでは特別展がやっているようで、当時の風俗を思わせる屏風や、1年中通して使うことを想定されたのだろう、12個の茶器を見ることが出来た。しかもレプリカとはいえ撮影可能という太っ腹である。
 レゴで出来た彦根城なるものもあった。何の関係があるのかはさっぱりわからない。
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 彦根城は険しい階段をそこそこ登った先にある。案内板曰く、敵が登りづらく、足元に気を取られるようにするためにわざと段の幅をばらばらにしているらしい。「大変登りづらいとは思いますが、十分気をつけてご見学ください」という投げやりな指摘と共に書いてあった。
 平日とはいえ春休みなのか、石段の向こうからきゃぴきゃぴした若いカップルがやってくる。よくみれば急な石段を降りづらいなどと女性が言い、じゃあ抱き上げて降ろしてやると男が言っている。そんな高いヒールを履いたら降りづらいに決まっているだろ。
 しかもそのカップルの向こうにいる、もう1組のカップルもその様子を見て真似してやろうかなどとじゃれあっている。このこととは断じて関係がないが、雨は先日行った高山ではなく今日ここで降った方がよかったと思った。断じて関係はないが。
 散々石段を登りようやく彦根城にたどり着くが、まだ天守閣への道は長い。
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 正門は少々変わったつくりをしていて、裏側には廊下があり、通れるようになっている。その他珍しい建築様式が彦根城には少なくないらしい。
 中に入ってみるが、ここで大きな試練にぶつかることになる。彦根城内の階段は異常なほど険しいのだ。
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 階段を上るときには両手を使って手すりにつかまりバランスを取らなければ危ない。殆ど壁を登っているような気分にさせられる。いったい何のためにここまで険しいのか、つくった人間に文句の1つも言いたくなるほどだ。敵襲に備えてだろうか。しかしここまで敵が迫ってきていては負けたも同然な気がするが。
 このような階段は城内に2か所あり、もう少し穏やかな階段も1つある。足腰の悪い人は彦根城に来ない方が無難だろう。
 ようやく天守閣にたどり着いたが、眺めに期待してはいけない。彦根城に限らず、大抵の城の天守閣には転落防止用の網やガラスが設置されており、景色の妨げになっているからだ。
 しかし彦根城の景色はそれを差し引いても期待できないものだった。というのも、窓にはめられたガラスは曇っていてはっきりと外の様子は見えないし、何より城に入るまでに既に結構登っており、ちょっと天守閣に登った程度では景色はあまり変わらない。というわけで景色の写真も外で撮ったものを貼っておこう。角度によっては琵琶湖を見ることもできる。
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 ちなみに、景色なら少し離れた西の丸三重櫓のほうがガラスがない分期待できる。そばの広場では大河ドラマ『江』の撮影が行われていたらしい。ああ、あのシーンねとなるには時間が経ちすぎているが。
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 他にも彦根城には庭園があり、天守へ入るチケットでこっちにも入ることが出来る。中は広々とした池を中心としており、花の季節ではないのが惜しまれるほどだ。ここもやはり、何かの工事中だったということも残念だった。
 そばには楽々園という、地震があった時に逃げ込む建物なんてものもあり当時から日本が地震大国だったことを思わせる。建物はちゃんと耐震構造になっているらしい。

 京橋をゆく
 彦根城のそばには、如何にも京都の街並みを意識したような街道がある。ただ残念なことに、店の数は多くない。本物の京都、しかも平安楽市まで見たあとだと少々物足りないというのが正直なところだ。
 店の1つに目を引く看板があったので入ってみる。おお、戦国無双じゃないか。
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 中には井伊直虎のパネルがあった。どうも石田三成に関係のある観光地に全部で11のパネルがあって、彦根には3つあるらしい。
 しかし時間もなかったし、ここでは1つしか見つけることが出来なかった。しかも直虎って4以降から登場したキャラクター。Willで出た3は散々やったが、それ以外はからっきしなので全然わからないのだ。
 このパネルに遭遇したことで、帰りの電車内では帰省前にも考えていたことが再燃し出していた。
 プレステ3買おうかな、中古ならなんとかなりそうだし。そうしたら無双OROCHIもできるし。
 最終的に全然関係ない思案をしながら、彦根旅行は終わっていったのだった。
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2015年03月27日

彦根三大問題紀行 前編

 実家からの帰り、何処に寄るか散々迷った挙句「京都じゃ芸がないし」ということで彦根に行くことにした。
 彦根においてとんでもない問題に直面することになるとは、その時に私には想像もできなかった。

 護国神社攻めすぎ問題
 JR彦根駅から降りて真っ直ぐ歩いたところに彦根城はある。その前にちょっと寄り道。ルート上、観光案内所で貰った地図に卍が書いてある。城に行く以上寺社仏閣成分は望めないために、ここに寄ってみることを決意する。
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 しかしたどり着いたのは今までに見たことのないタイプのお寺だった。大師寺というそのお寺は、言っちゃ悪いが何ともごちゃごちゃしているのだ。境内にはお寺でよく見る謎の赤い旗がひしめき、決して広くないにも関わらず七福神の石像が鎮座している。足元には何やら番号の書かれた石のタイルもある。これはあれか?全部踏むと四国八十八か所めぐりをしたことになるあれか?
 しかしこういうお寺も決して嫌いにはなれない。前にも書いたが私は信仰への執念を感じられる建築物が大好きなのだ。非合理的な信念であるはずのものへの執着、しかもそれが資本主義と人間の横着さと混じり合って存在するこの場所を嫌いになれそうにもない。
 正規のルートに戻り彦根を目指すが、その前に城には付き物なあれの御登場だ。滋賀護国神社。
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 しかしこの護国神社、攻めすぎじゃなかろうか。入り口の看板からしてこれである。護国神社の頂点は靖国神社。故にこういうイデオロギーが多かれ少なかれ存在するのは理解できるが、依然訪れた広島の護国神社も姫路のそれも、あくまで城に寄り添うようにひっそり立っていただけでここまでではなかった。
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 境内には平和を訴える石碑が数多く立ち並ぶ。原爆が落とされた広島の護国神社にも劣らない数だ。中には軍馬や軍犬、はては軍用の鳩を慰霊する石碑までたっている。これは珍しい。看板にはいちいち「平和の礎になられたご先祖様に感謝しましょう」の文字が躍る。
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 本堂は質素な木製の作り。中に入ってみると神社が所属する会の会報が置かれていた。こういうのが賽銭箱の横に置かれている神社も、まあ珍しくはないし広島の護国神社でもそうだったような気がする。しかし会報は櫻井よしこの講演会の妙録である。そして横を向けば皇室カレンダーの皇太子一家が笑顔を振りまかれている。攻めるねぇ。
 こういう雰囲気の神社はあんまり好きになれないというのが正直なところだ。信仰を自身の欲望のために利用しているという意味ではさっきのお寺とあまり変わらないのかもしれないが。というか、信仰というものそれ自体が多かれ少なかれ欲望を叶える装置なのかもしれないが。

 ひこにゃん多すぎ問題
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 おわかりいただけだろうか?
 この街にはひこにゃんが多すぎる。3歩歩けば即ひこにゃん、状態である。この写真もあくまで氷山の一角に過ぎない。店のショーウインドーには必ずひこにゃん、街灯に掲げられた旗にもひこにゃん、彦根城にはもちろんひこにゃん。この街ではひこにゃんの目を逃れることはできないのだ。
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 彦根城のお土産に至ってはこれである。奇跡のジバニャン<ひこにゃんを成し遂げている。パッと出の地縛霊なんぞに負けないという気概を感じる。確かにどこの猫の骨もとい馬の骨かもわからない地縛霊と、徳川四天王の一角では格が違いすぎる。相手が悪かったな、ジバニャン。

 後編へ続く
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2015年03月26日

雨の高山を行くその3 高山陣屋と櫻山八幡宮とからくりおみくじ

 (その2からの続き)
 飛騨牛やらさるぼぼやらを堪能したあとは、るるぶに紹介されているような定番のスポットを巡ることにする。別に今まで廻った場所だって紹介されているとは思うけど。

 高山陣屋の拷問部屋
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 高屋陣屋というのは、飛騨高山を支配した金森氏が使用していた陣屋のこと。簡単に言えば大昔の役所跡にあたる。建物と出土品などから当時の生活をうかがうことが出来る。
 いくつも注目すべき点はあるが、まずは足元だろう。この陣屋に使用されている疊には3種類あって、それぞれヘリに違いがある。柄のついているもの、真黒なだけのもの、そしてなんにもついていないもの。順番に身分が低い者の部屋に使われる。当時が身分制なのはわかるが、ここまで徹底されると病的としか思えないような気がする。設備が豪勢になるとかならまだしも、たかが畳のヘリだ。
 身分制度の名残は部屋割りにも見える。陣屋にはそれぞれの役人の控室があるのだが、これも役職によって事細かに分けられている。なんと入り口まで別に用意されている。まあ入り口は役所に来た客人が直接役人にあえるようにするためかもしれないが、身分が違えばおいそれと接触できるようなものではないだろうということは想像に難くない。
 細かいと言えば、昔の建物というのは作りが結構細かく、そういう工夫点を探すのも楽しみの1つだろう。例えば高山陣屋に使われている釘隠しはウサギの形をしている。地味にこの釘隠しも、身分の低い女中の部屋とかだと見ることが出来なかったりする。細かい。
 そして高山陣屋にはお白洲がある。罪人の取り調べも立派な業務だったのだ。
 お白洲があるということは、当時罪人の取り調べには必須(?)だった拷問部屋もあるということだ。石抱きようのギザギザした鉄板も展示されている。解説が書いてある板が遠くに設置されすぎていて、目の悪い私には見にくいというのが玉に瑕だが。
 高山では百姓一揆のようなことも起こっているらしく、その時の記録も読むことが出来る。どうもここの直訴はうまいこといかなかったらしく、大勢がなんらかの処罰を受けている。死罪になった人も少なくはない。
 誰かを殺したわけじゃなしに、訴えを起こしただけで死罪とはぞっとしない。現代に生れてつくづくよかったと思う瞬間だ。

 櫻山八幡宮へ
 いい加減目ぼしいところは回ったし、どうしようかと適当に歩いていると妙なことに気が付いた。同じところを歩いてる?
 私が若干方向音痴を患っているのは事実だが、全く同じところをそれを気が付かずに歩くなんてへまはしたことがない。しかし隣に見えるのはあの英語教室が併設されている箪笥屋だ。こんな箪笥屋が2つもある訳がないし、確実にここを通ったことがある。
 謎は直ぐに解けた。道にいる人が午前に比べてめっきり減った。というか人っ子一人いないと言ってもいい。雨が降っているとはいえ、少ないにもほどがある。
 他の観光客はツアー客がメインだったようだし、とすると午後は合掌造りでも見に行ったのかもしれない。それにしても人の有無でここまで雰囲気が変わるのか。
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 そんなことを考えていると、今度はバカに大きな鳥居が見えてきた。この前の平安神宮に負けず劣らずの大きさだ。昔の人は示し合わせて大きさを競ったりしたのだろうか。
 適当に歩いてたどり着いたのは櫻山八幡宮。というよりは高山祭りで使う山車を展示している高山屋台会館の方が観光スポットとしてはメインだろう。
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 高山には高山祭りという、ひねりも何もないネーミングのお祭りがあり大きな山車が街を廻るのだそうだ。その山車は写真のような倉庫に保管されており、こういうのが街のあちこちにある。
 昔の高山祭りの様子を写真で見たが、山車が万が一倒れたら大惨事だなってくらい人がとんでもなく多い。外国人観光客も少ないだろう、ネットもない時代でこれである。今の客入りは考えたくもない。
 屋台会館では、巫女さんが4つの山車の解説を懇切丁寧にしてくれた。そのうち1つは山車というよりは神輿に近く、それでも2トン近い重さがあるのだとか。担ぐ人間1人あたり60キロの負担がかかるらしい。ほぼ拷問じゃないのか。
 その山車であるが、屋根には皇室の紋章を彷彿とさせる菊の御紋がついている。実は明治ごろに、勝手に菊の御紋を使うなとお達しがあったが、その後花びらを1枚足せばオッケーになったのだという。くだらないところを厳しくしたと思ったら妙な理由でゆるくしたり、なんだか今も昔も変わってねぇな日本と思わせられるエピソードだった。
 屋台会館の隣は櫻山日光館といい、何故か日光東照宮の精巧なミニチュアが展示されている。宗教的な繋がりがあるのか、ただ飛騨高山の職人の技を誇示したかっただけなのかは不明だが、すごいのは事実だ。
 広い館内に並べられたミニチュアは、ミニチュアと言えども大規模で圧倒される。建物に施された彫刻も全てを確認できるほど細かく作られており、本物を見るよりもしっかり建物を観察できるのではないかと思わされるほどだ。私はまだ日光東照宮には行ったことがないが、ぜひとも行かねばという気持ちにさせられた。

 からくりおみくじ
 旅も終わりが近づいている。
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 屋台会館を出た所にはからくり装置で動くおみくじがあった。装置の鳥居に正一位と書いてあるし、この女性はきっと櫻山八幡宮の御祭神応神天皇の母親で、会館に展示されていた山車の1つの上に祀られていた皇后と同じ人なのではないだろうか。
 そういえば街を散策している間にも、からくりを見つけた。腕を上下させ箱を開けると中身が変わっているという単純なものだった。この街はからくりで有名……というわけではなさそうだが。
 ともかくやってみよう。私は神頼みというのをしない主義だし、おみくじだって付き合い以外では引いたこともないが好奇心に負けた。
 大方の予想通り、女性の人形が反転して神社の中に入っていきおみくじを台にのせて再登場、投入口に落としておしまいという物悲しいものではあった。結果は大吉。
 神頼みをしない主義というのは、その主張をするタイミングが難しい。よくない結果のあとだと言い訳がましいし、逆にいい結果の時では厭味ったらしい。少なくともこればっかりは、おみくじにあるように「黙っているのが吉」なのかもしれない。

 (完)
posted by 新橋九段 at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする