2016年01月27日

京都紀行2nd 兎と鼠の神社編

 12月某日、今度の私は京都に降り立っていた。
 3月には平安神宮を巡っていた私だが、今度は別の場所を巡ろうという算段である。京都は広い。適当に歩けば何かにあたるのだから観光にはもってこいだろう。

 兎の神社
 私がまず最初に向かったのは岡崎神社である。ここは旅に出る前、Twitterで兎の神社として話題に上ったので、折角だからと旅の第1目標とした。
 京都には既に何度も来ている。岡崎神社への道筋も、ほとんどがどこかで見たことのあるものだった。地図を見てみればわかるが、平安神宮と岡崎神社は実はそんなに離れていない。ルート的には3月にさまよい歩いていた場所を突っ切る格好となる。
DSCF1239.JPG
 岡崎神社の入り口には、早速兎の絵の描かれた提灯が吊り下げられている。兎神社の看板に違わないその門構えに、期待が高まる。
DSCF1244.JPG DSCF1245.JPG
 境内はさほど広くなく、真っ直ぐ行くとすぐに本殿に到達する。その途中、舞台のようなところに兎の小物が大量に並べられていた。
 本殿には狛犬ならぬ狛兎が鎮座する。とはいっても狛犬だってちゃんといる。
 しかし、残念なことにこれで終わりである。これ以上兎はいない。期待値が高かっただけに少し拍子抜けした印象だ。まあ、こういうこともよくある。全ての神社が観光向けにできているわけではないのだ。

 鼠の神社
 ここで進路を東に向け、哲学の道に入る。岡崎神社から東に進むと、丁度この道の中ほどに合流する格好になる。
 哲学の道に入った後、すぐにそこを散策しても良かったのだが、近くに大豊神社という場所があるようなのでそちらを先に見ることにする。季節の木々が立ち並ぶ遊歩道を抜けると、小さな神社が眼に入ってきた。
 大豊神社は、休みの日には近所の小学生が遊んでいそうな小さな神社だった。年末の時期だったので、神主らしき男性が本殿で年越しの準備をしており、彼の子供たちが傍で遊んでいた。
DSCF1246.JPG DSCF1247.JPG
 単なる神社かとも思ったが、本殿の脇にある祠には鼠がいた。狛犬ならぬ狛鼠だろうか。今日はよく動物に会う日だ。社務所にはミッキーマウスのぬいぐるみも置かれている。鼠なら何でもいいのか。

 哲学の道を北へ
 哲学の道に戻り、北を目指す。もういいかげん昼過ぎなので、どこかで食事をとりたいのだが、ここらにはあまりそういう店がないようだ。
 哲学の道という名だから、哲学者の石碑でも置いてあるのかと思ったが全く見なかった。唯一、西田幾多郎の詠んだ歌の石碑があるだけで、あとは綺麗な遊歩道という感じだ。ここで京都の文人たちは思索をしたのだろう。それには確かにピッタリだが、観光で訪れるには物足りない気もする。
DSCF1251.JPG DSCF1252.JPG
 道半ばに、無人販売所があった。地元は田舎なので別段珍しくもないが、京都で見るのは意外だった。近寄って見ると菓子や果物が置いてあり、どれも安い。焼き芋を売っていることもあるようだが、このときはなかった。
 腹が減って仕方がなかったので、蜜柑を購入。手に収まらないほどの大きさものが2つで100円。いい値段だ。酸味と甘みのバランスがよく、おいしい。大きいから中の薄皮が固いかもと思ったが、そんなこともなかった。
 しかし蜜柑では腹は膨れない。やはりきちんと食事がしたいのだが、店がない。そんなわけで少し哲学の道からそれてレストランを探した。しかし見当たらない。すし屋を見たが900円で海苔巻きを喰う気にはならず、蕎麦屋も見たが蕎麦は前日に食べたばかりだった。
DSCF1253.JPG
 そんな中見つけたのが、ベーカリーヤマダというレトロなパン屋だった。パン屋に喫茶店がくっついた構造で、お昼休みには会社員や昼食を買いに来た高校生とかでにぎわいそうなイメージがある。
 もういいや、ここにしようと決めて中に入る。店内は落ち着いた雰囲気で、カウンターの下には写真でメニューが掲示されている。ポタージュセットを頼むことにした。
 注文した品はすぐに出てきた。ポタージュはコーンが多く濃厚だが食べやすい。パンにはマーガリンがしっかりと塗ってあり香ばしい。サラダも一緒に平らげてしまい、食後のコーヒー。苦味が強いタイプだった。難点は、スープにコーヒーがつくせいで腹がタポタポになることくらいか。これで660円。家の近くにあったら通ってしまいそうな店だ。

 英気を養って再び哲学の道へ。南へ向かい、駅へ戻るコースを取る。

 (猫と偉人の道編に続く)
posted by 新橋九段 at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月20日

宮島ウインター 仏閣編

 高台にのぼった程度でいい気になったところで仏閣編である。私はもう1度厳島神社の出口に戻ってきていた。
 どれだけ歩くのだと思われるかもしれないが、金はないけど時間はある貧乏旅行では足で稼ぐのが常套手段である。幸い私はまだ若い。3時間程度なら休みなく歩き続けることもできる体力もあるのだ。

 大願寺と9本の松
 厳島神社を出てすぐのところに、大願寺という大きな寺がある。商売敵としては厳島神社はあまりにも相手が悪かろうが、ここにしかない見どころもある。
DSCF1198.JPG
 それがこの、9本に分かれた松だ。伊藤博文が植えたのちこのかたちに別れたと伝わっている。本当かよとも思うが、そういった逸話が残るところが偉人の偉人たるゆえんなのだろう。松を植えたのが名のない人間であれば、天狗か何かの仕業にされていたに違いないのだから。
 その松の向かいの広場では、猿回しをやっていた。猿が竹馬に乗ったりチャンバラの真似事をする度に歓声が上がる。初めて見る光景だが、やっている日は決まっているのだろうか。どうも調べた限りでは不定期らしいが。

 大聖院へ
 大願寺を後にし、山の方へ向かう。こちらにも大聖院という寺がある。
 山門をくぐった私を向かへ入れたのは長い石段と、手の込んだ作りの手すりだった。1回まわすと1度経を読んだことになるというあれだろうか。これは、釈迦の来歴を記したもののようだが。
 ははぁ。ここは私が「商魂たくましい系」と呼ぶ寺だろうと直感した。この手の寺にはとにかくご利益がありそうなものが林立し、寄付をした人々の名前がずらりと並ぶ。仏という見たこともないものにすがり大金を出す人々の、そこまでしてでも幸運になりたいという底知れぬパワーを感じさせる場所である。
 遠くから土器の玉をうまく投げ入れると幸運になるという壺を通り過ぎ、寺にたどり着く。受付にはずらりとお守りの類が並ぶ。今まで1番の品ぞろえ、脅威のラインナップである。おみくじも、今まで見たことあるような「七福神おみくじ」みたいなものがほぼそろっており、おもちゃ屋のガチャガチャの一角を彷彿とさせる状態だ。
 受付で御朱印をお願いすると、番号札を渡され帰りに受け取るように言われた。御朱印は書きあがるのを待つのが常であり、ここまでシステム化された寺はめったに見ない。大量の参拝客を捌くのに慣れている証拠だろう。
 本堂は一旦後回しにして、先に奥を見ることにする。どうもこの寺はチベット仏教と深く関係があるようで、そのことを思わせる品がところどころにある。「商魂たくましい系」にはつきものの、干支ごとの守り本尊12体セットや、歩くだけで四国八十八か所を巡礼したことになるやつなど盛りだくさんだ。一応この寺は不動明王を祀っているのだが、これだと何を祀っているかわからなくなる。ほとんど仏さまのオールスターと言ってもいい状態である。
 最奥にはずらりと並ぶ小さな仏像があり、圧巻だ。誰が寄贈したものか示す銘板も規則正しく並んでいる。全て全く同じ像なのだが、よく見るとマフラーのようにリボンをかけたものが何体もある。寄贈した人が参拝に来てかけていったのだろうか。寄贈したあとの参拝の熱心さが、こんなところからも見て取れる。
 受付まで戻り、今度は本堂に入る。巨大な水晶やブッタの足型をスルーして中に入ると、色とりどりの砂で描かれた曼荼羅が眼に入る。これもチベット仏教に関連する品らしい。近くにはダライラマの肖像があり、サイン入りのポストカードが「ご自由にお持ちください」と置かれている。アイドルさながらだ。
 天井には花の絵が、筋交いの区切りごとに描かれているが、ここにも寄贈者の名前がある。アピールも体外にした方がいいのではないだろうか。
 受付で御朱印帖を受け取ると、一緒に参拝記念と書かれた袋を渡された。中にはパンフレットや小さなポスターが入っている。カラー刷りで本当に金がかかっているなと思わせられる。きっと儲かっているのだろう。
 パワースポットというと、大自然の奥地や縁起物を祀った場所が一般的だが、私は寧ろこういった寺こそパワースポットとして推したい。幸運を求め悪戦苦闘する他者の意気を目の当たりにすることで、自分もまた幸運を掴もうという強い意志を得ることが出来るはずだ。

 冬の宮島
 最後に、折角だから冬の宮島の魅力について書いておこう。
 最初に、宮島は秋のイメージだと書いたが、それは誰しも思うことなのだろう。秋には紅葉目当ての観光客が多く訪れる。春夏は遠くから広島に出てきた大学生やその家族でやはり混む。一方、冬なら混雑もさほどではない。他の季節に比べればまわりやすいかもしれない。
 そして、冬でも紅葉を見ることは可能だ。2015年はあまり紅葉が綺麗な年ではなかったと言われているが、静かな山にぽつりとみられる赤い葉は、くすんでいる方がむしろ風情がある。
 宮島の食べ物には温かいものが多いというもの、冬の魅力となっている。もみじ饅頭が出来たてであることもそうだし、焼き牡蠣や屋台の牛タン串など熱々の食べ物は、夏にはあまり手が出ないだろう。よく冷えたビールを飲むのなら話は別だろうが。
 昼食は牡蠣の入った蕎麦だった。小ぶりだが6つも入って1000円をきる値段で、手軽に食べることが出来る。寒い外を歩き冷えた体に温かい蕎麦は本当にありがたい。

 港まで戻ると、丁度船の時間だった。フェリーでも利用可能なので、ここまで来るのには青春18切符を利用している。船に乗り込むと、あっという間に宮島は小さくなっていった。

 (完)
 (京都紀行2nd 兎と鼠の神社編へ続く)
posted by 新橋九段 at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月13日

宮島ウインター 神社編

 12月某日、私は寒風吹きすさぶ宮島に上陸した。
 これで5回目の訪問になるが、今回は初めてのことが2つある。
 1つは冬に訪れたということだ。今までは春から初夏にかけての訪問だった。海に反射する眩しい太陽。心地いい海風の中緑に覆われた宮島を散策するのは実に楽しい。
 しかし、やはり春や夏は宮島のイメージにはそぐわないように思う。赤い大鳥居を有し、鹿が闊歩する宮島には紅葉が美しい秋が最も似合っている。ただそれではあまりにもありきたりで面白みに欠ける。となれば冬に訪れるのもまた一興ではないだろうか。

 海の上の社
 もう1つの初めては満潮の厳島神社だ。実は今まで訪れたときには悉く干潮であり、潮の引き砂浜に建つ厳島神社しか見たことがなかった。この状態だと大鳥居へ近づくことは出来るが、平清盛が建立した海の社というイメージからは外れていまう。
 やはり、海の上に浮かぶ厳島神社の回廊を歩きたい。今回の宮島行にはそんな思いがあった。
DSCF1184.JPGDSCF1187.JPG

 宮島上陸後、迷うことなく厳島神社の入り口に向かい、拝観料を払って回廊に足を踏み入れる。板1枚下は海である。
 やはり美しい。厳島神社はこんなにも鮮やかだったのかと思わされる。干潮のときは砂浜の茶色が目立っていたが、満潮では社の朱と海の碧のコントラストが映える。波が揺れ、柱にぶつかる音に社が揺れているかのような錯覚も受ける。
 まさしく、海の上を歩く疑似体験。やはり厳島神社ま満潮時に訪れるべきだと確信した。

 宮島の商店街
 厳島神社を出て足を向けたのは、土産物屋の連なるエリアだ。5回目の訪問となればもう見慣れた景色であるが、やはりこういった雑多な店の数々を冷やかすのは楽しい。旅の醍醐味と言ってもいいだろう。
DSCF1221.JPG

 広島名物と言えばもみじ饅頭だ。宮島ではこのように機械で作っている様子を見ることが出来る。多くの店がその場で作ったものを提供しているため、ビニール梱包されていても手に取ったとき温かみが伝わってくることもある。
 全て同じように見えるもみじ饅頭だが、店ごとにこだわりがある。味もその店にしかないものがあるので、安易に購入する前に1度一通り店を見てからにすべきだ。1つから販売している場合がほとんどなので、全部試すというのも1つの手だろう。
 個人的には菓子処きむらのものを推したい。商店街の終わりの方にある店だ。チーズとアップルはこの店にしかなく、記事にもスポンジケーキを使用しているので冷めても味が落ちない……というのが店主お決まりのセールストークである。

 清盛神社と豊国神社
 ところで、宮島にある寺社仏閣が厳島神社だけだと思い込んでいる人々は多いだろう。世界遺産に注目が集まるのは当然だが、宮島の魅力はそれだけではない。今回わざわざ、実際の旅の行程を少々捻じ曲げてでも神社編と仏閣編に分けて紀行文を記したのも、そのことをよりよく示したいからだ。
 厳島神社を抜けた私は、多くの観光客が流れるルートから外れ海沿いを進んでいた。松の木々と放置されたマリンスポーツの道具のせいで、酷く寂しく見える。観光客も皆無で、厳島神社の華やかさとは対照的である。
 私が目指していたのは清盛神社である。名前の通り平清盛が祀られている神社だ。そんな大物が祀られているのだから、それなりに立派な社であろうと期待していたのだが、それはあっさりと裏切られることになる。
DSCF1200.JPG

 私の目の前に現れたのは、厳島神社のものとは比べ物にならないほど小さな鳥居と社だった。管理人が常駐すらせず、そばには小さな茶屋が閑古鳥を鳴かせていた。
 大河ドラマの主役にもなった偉人、厳島神社を築いた男の扱いはあまりにも小さかった。清盛神社と知らずに見た人の何人が、平清盛が祀られていると信じるのだろうか。
 しかし神社巡りにおいてこのような事態に出くわすことはままある。
 落胆と共に厳島神社へと戻った私は、中国人と思しきツアー客を尻目に再びメインのルートから外れた道を行く。今度は宮島にそびえる五重塔、それを有する豊国神社へと向かうためである。
 
DSCF1217.JPGDSCF1210.JPG

 手元の昇殿券によれば、豊国神社は秀吉が安国寺恵瓊に命じ建立したもののようだ。千畳閣の異名の通り、中はものすごく広い。思い切り駆け出し、スライディングでもしたくなるような広さだがあまりにも罰当たりなのでやめておく。
 厳島と比べてしまうと、建物としてはやはり地味だが、しかしこの豊国神社は宮島の高台に建っている。ここからは宮島を一望することが出来るし、厳島神社もなんだか小さいもののように見えてくる。
 巨視的なものの見方をすると些細なことがどうでもよく感じるというのは、人の心のありようとしてはいささか安易な気もするし、少し高台にのぼった程度でそれが実現してしまうというのも小さな話だ。

 (仏閣編につづく)
posted by 新橋九段 at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする