2016年11月27日

【読書狂の冒険#043】入間人間『電波女と青春男』アスキーメディアワークス

 テーマ「ライトノベル」の最後を飾るのは入間人間の『電波女と青春男』。この作品は私のラノベ経験には珍しく(?)全部読んだし、全部買ったシリーズである。私がラノベを読むときは大抵借りものだし、しかも最終巻まで読んでないことが多いこと多いこと。

 本作を今の時代の語彙で敢えて表現するとすれば、ハーレムものに近いのだろうか。主人公の丹羽真が居候先で出会った従妹の藤和エリオや高校の友人たちとわちゃわちゃやる内容に終始している。青春小説と表現したほうが的確だろうか。どちらにせよ、流行のハーレムものに比べてヒロインとの関係その他に関する、お約束とも言える無糖滑稽さが薄いので、かえって読者の受けるいろいろなダメージが大きい作品でもある。高校生のとき読んだら青春観があらぬ方向(一般的なオタクとはずれた方向)に捻じ曲がるし、二十歳を過ぎた身の上では耐えられる気がしない。流石タイトルに「青春男」を関するだけあって、青春描写が爽やかで辛い。

 本作のもう1つの特徴は、青春ポイントというシステムにある。これは主人公の極めて主観的な基準によって加算される、「青春っぽさ」を点数化したシステムである。要するに主人公が青春を感じれば増加していき、それとは反対に青春を感じなかったり隕石に体を削られたりすれば減るという、その場のノリを体現した仕組みである。
 ライトノベルが直面する問題の1つに「平凡な主人公」問題というものがあると、私は勝手に思っている。つまり、「流石ですわお兄様」でない限り、読者の感情移入先になりやすい主人公にできるだけ突出した特徴を与えたくないというのが作者の思惑となる場合が多いのだが、一方で本当に平々凡々ではお話にならないのでなんらかの突出した特徴を結局は、ことによっては作者すら気がつかぬうちに与えることになる。すると、作品の最初の方で「俺はどこにでもいる平凡な高校生」と言ってたくせに全然違うじゃないかという事態が起こる。これは主人公の描き方によってかなり嫌味に見えてしまうし、折角の感情移入先に反感を抱かれたのではその先を読んでもらえなくなってしまう。
 その点、本作は「青春ポイント」を主人公が逐一考えているという設定で、この問題をうまい具合に回避しているようにも見える。丹羽真は確かにこれといった特徴のない、「平凡な主人公」ではあるが、青春ポイントという要素が入った瞬間に「ちょっとだけ変な奴」になる。しかもその変な感じが、いかにも変人という印象を与えようとしているのではなく、実に淡々と本人の中で行われているのが、「ちょっとだけ」に拍車をかけている。その結果、周囲にエリオを始めとする変な人々が集まってきても「ああ、類が友を呼んだんだな」としか認識できなくなり、嫌味みたいなものも薄まる。不思議と、彼の青春ポイントが削られると彼のおかれている境遇があまり羨ましくない気がしてくるのだ。
 とは言っても、やっぱり羨ましい気もするのだが。

 本作の前に出版されていた、作者の作品が如何にもおかしい奴と如何にもおかしい奴のラブストーリーだったせいもあって、本作はうまくラブもヘイトも薄めた作品に感じた。いうなれば、前作でカルピスの原液を飲まされていたのが、今回はカルピスソーダだったみたいな話だと思う。まあ、私は炭酸苦手なんだけども。

 そういうことを適当に(この記事はいかにもわかったふうな書評っぽく書いているが、そんなことはない)考えていると、この年になってラノベが読めなくなったのは、最近ケーキ一切れがしんどくなってきたとか、昔より焼き肉が食べれなくなったみたいな話なのかなぁとも思えてきた。
 もっとも、周囲を見てみると年齢が上がっても相変わらずラノベ万歳な人間も結構いるのも事実だ。うん、まだ彼我の差の理由はよくわからない。
posted by 新橋九段 at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書狂の冒険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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