2015年02月15日

サドとマゾの精神医学的分析

 キャラクターを作る際にサディストやマゾヒストとしてキャラ付けすることはもはや珍しくなくなったようなこの時分、いかがお過ごしでしょう。
 ところで、ロバート・ストーラーという精神科医がサド・マゾの様態について10項目からなる分析を行っているという話を見つけたので、簡単にまとめておきます。早い話が、サドにもマゾにも結構種類があるということです。

1.主人と家来
 簡単に言えば支配―被支配の関係性です。具体的に言えば、女王と家来、上司と部下、先輩と後輩のような立場の違いです。
 しかし立場が上の者が常にサド側であるとは限りません。むしろ社会的な立場と逆転した役割を演じる方が倒錯的な雰囲気を高めるのでより快楽を得やすい可能性もあります。

2.快楽としての苦痛・苦痛としての快楽
 痛みはSMにとって欠かせないものですが、マゾはどのような痛みでも必ず興奮するというわけではありません。
 むしろマゾの痛みの好みはかなり正確であり、ストーラーはあるマゾが背中の痛みを好むのにある部位から少しでも外れると苦痛を感じるだけになる可能性もあると指摘しています。

3.同好者の性別
 サド・マゾの者には異性としかそのような行為が出来ない者もいますが、同性としかできない者やどちらでもできる者もいます。
 また、同性愛者がサド・マゾ行為を楽しむ確率は異性愛者よりも高いと言われています。

4.男性か女性か
 性別ではなく、合意に基づく行為が男性的か女性的かという話だそうですが、これはちょっとよくわかりません。
 男性だとサド側が強めにリードしていくとか、そういう話でしょうか。

5.性愛的か非性愛的か
 サド・マゾ的行為が常に性的快楽を目的に行われているわけではありません。サド・マゾ的行為を楽しみながらも通常の性行為の方が快楽を感じる者もいれば、サド・マゾ的行為が性愛的要素を持っていないのに好まれるケースも存在します。

6.身体的か精神的か
 身体的行為よりも精神的なサド・マゾ的役割を演じることを好む人は少なくありません。例えば主人と従者の関係を性的な関係なしに演じる場合があります。
 なお精神的なサド・マゾ的な要素は性愛場面では見られにくくても、対人場面では広くみられます。誰かに嫌がらせをしたりするのはサディズムの表れであり、苛められているのにその人から離れない人は精神的なマゾヒズムを発現させていると言われています。

7.自己発情的か人間関係によるものか
 ほとんどの場合、サド・マゾ的行為にはパートナーを必要とします。しかし中には1人で行為を楽しみパートナーを必要としない人がいます。
 犯罪学的にはこのような人の方が危険と言われています。というのも、1人で楽しみたい者には合意によって行為を行おうという発想がなく、相手を無視した一方的な行為に走りやすいからです。

8.服装倒錯の有無
 男性が行為時に女性の服装を身に着けることを稀ではありません。大抵は被支配的な役割を演じますが、中には支配的な役割を演じる場合もあります。その場合パートナーは大抵男性です。
 一方、支配的な役割を演じる女性の中にも男性の服装を身に着ける者がいます。
 ちなみに性的倒錯の中でサド・マゾは女性の割合が高く、マゾヒストの20%は女性と言われています。

9.公然か非公然か
 公然というのは人前で行為を行うかではなく、サド・マゾとしての自覚があるかということです。サド・マゾには自覚がない場合も少なくありません。
 戦闘行為は非公然のサドの欲求を満たす効果があると言われています。一方宗教的実践がマゾヒスティックな快楽と結びつくこともあり、十字架にかけられたキリストが性愛の対象になることも報告されています。

10.同意によるか否か
 同意しているパートナーとの行為の最中に、同意していない行為にまで逸脱してしまうことがあります。
 この場合パートナーが抵抗し、もう一方が自分の欲求を満たそうとそれを抑え込んで犯罪に至るケースがあります。
posted by 新橋九段 at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 創作資料 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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