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2017年02月09日

こんなマーベルが見たかった!『ドクターストレンジ』は続編で完成する?

 遅ればせながら、この前観にいったドクターストレンジの感想を書いておこうと思います。ネタバレ注意

 こんなマーベルが見たかった!
 まず、本作の感想を一言で言い表すとこうなります。いやぁ、こんなヒーローを私は待ち望んでいました。
 マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の魅力の1つは、主役級のヒーローが数多く登場しアベンジャーズとして共演するところにあります。しかし登場ヒーローは「超科学的」なコンセプトを持つヒーローに偏っているという問題を抱えていました。アイアンマンは言わずもがな、実験の失敗によって誕生したハルク、意図的に生み出されたスーパーソルジャーであるキャプテンアメリカ、アントマン・スパイダーマン・ヴィジョン・スカーレットウィッチといった面々もその力の根源は超科学にありました。
 唯一科学とは無縁である神様マイティ・ソーも、その描写は科学と無縁ではいられませんでした。アズガルドの描写を映画で見てもらえばわかるように、兵器とかが妙にメカメカしいんですよね。
 しかし本作はそんな科学の世界からは遥か彼方にいます。トリックアートのような映像美で語られる魔力の根源は、宇宙に無数に広がるマルチバースと呼ばれるもの。神秘的な世界観に科学の入る余地はありませんでした。
 科学から1歩身を引き魔術の世界に生きる彼は、アベンジャーズの魅力である「様々なヒーローの共演」を真の意味で成し遂げられる人物です。科学的なヒーロー(+神様)に魔術師が加わることで、世界観がさらに一次元深まることが期待されます。
 今回は単独映画ですが、アベンジャーズの次回作に登場することが早くも決定しているドクターストレンジです。アイアンマンのような科学の申し子たちとのやりとりが今から楽しみで仕方ありません。

 矛盾を答えに
 マーベル作品に限らず、アメコミ作品の多くは「世界観が矛盾に満ちている」という問題を抱えています。かく言うMCUだってハルクの演者が単独映画とそれ以降で変わっているという矛盾をはらんでします。その問題?にメタ的な視点からはっきりとした答えを打ち出したのも本作の功績でしょう。
 先述のように、ストレンジたち魔術師は無数に広がる平行世界マルチバースから力を得、それを魔術に変えて行使しています。このマルチバースは言い換えると「あり得たかもしれない世界」のことでしょう。本作ではストレンジが時間を操ることに対して「可能性を捻じ曲げた」「世界が分岐した」といった趣旨の発言がなされていますが、つまり魔術で時間を戻すと「時間が戻らずそのまま進行した世界」と「時間が戻り別の進み方をした世界」の2つが生まれてしまうといった認識がなされているのだろうと思います。
 本作終盤でダークディメンションの浸食を時間逆行によって防ぎましたが、あの時「ダークディメンションを防いだ世界」の他に「ダークディメンションを防げなかった世界」を生んでいるのでしょう。それこそがマルチバースの1つになるのでしょう。マーベルの原作には「ヒーローがゾンビになった世界」とかのIF設定もありますが、これを同じような生まれ方をしていると理解してとりあえずは間違いないと思います。
 ともかく、平行世界がいくつもあるという設定はアメコミファンにとっては当たり前ですが、そうではない映画だけを見ている層には理解しにくいところです。シリーズも1つの佳境に突入しているこのタイミングでその辺もきっちりフォローしておくのは必須だったのでしょう。

 ドクターストレンジは続編で完成する?
 本作のテーマの1つに、大義のために小事を曲げるべきか否かといった問題設定があるように私は思いました。
 本作でエンシェント・ワンはダークディメンションから力を得ることを固く禁じていました。それに反発したカエシリウスがダークディメンションから力を得るところから本作の物語が始まります。しかし一方で、エンシェント・ワンは自身も長寿のためにダークディメンションから力を得ていました。
 それはダークディメンションの侵攻から地球を守るためでしたが、自身で禁じたことを自身で犯したことに違いはありません。そのことに関して、ストレンジは割と柔軟に考え問題視しませんでしたが、兄弟子のモルドは違いました。ストレンジが地球を守るために時間を戻したことも手伝って、2人は袂を分かってしまいます。
 本作の最後(スタッフロール後の映像)は、モルドが魔術の力で足を治した男を襲いその力を奪うところで終わります。ドクターストレンジ単体ではこのテーマに決着がついていません。これが単独映画2作目で問題となるのか、登場が予想されている『マイティ・ソー:ラグナロク』で浮上するのかは不明ですが、真にドクターストレンジの物語が完成するのは、このテーマにストレンジが正面から向き合ったときであろうと思います。
posted by 新橋九段 at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ドラマ・映画評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月25日

【読書狂の冒険#047】 加納正顕/F.E.A.R『ダブルクロス The 3rd Edition リプレイコスモスB この宙に誓って』富士見書房

 本年最後の書評はリプレイコスモス。このテーマで取り上げたリプレイの中で唯一全3巻全てを読んだシリーズだ。たまたまブックオフに全部そろってたんですよね。

 本作はスタンダードなリプレイを目指すことをテーマとした作品。宇宙からやってきたフェイドアウトと神戸第三支部のメンバーとの交流と成長を描く……といったあらすじだけを書けば確かにスタンダードっぽい作品である。しかし登場人物のうち、支部長を担う人物が「支部長ロボ」という名のレネゲイドビーイングであるところかちょっとずつ雲行きが怪しくなっていく。
 とはいえ、登場人物の残り2人が高校生であるためもあってストーリーとしてやはり王道を進んでいる。第1巻ではフェイドとの出会いと親友を守るPC1の信念を、第2巻ではPC2の恋愛模様とそれを見守るレネゲイドビーイングたちの困惑をそれぞれ取り上げている。友情や愛情といった概念を理解していないフェイドを始めとする地球外のレネゲイドビーイングたちと人間とのやりとりというのは、人間ではないものとの交流としては定番中の定番だろう。

 そうした極めてスタンダードなシナリオの中で異彩を放つのは、やはり“支部長ロボ”ユピテルの存在感だろう。スタンダードって言っているのになぜ支部長がロボットなのだろうか。
 しかしシナリオが進むにつれて、支部長ロボの存在意義が明らかになっていく。人間の感情を理解していないフェイドと、その人間である高校生PCたちの間を取り持ち、かつ彼らを一緒に導ける存在は、ロボットでありながら人間の感情を尊重し達観したような姿勢も見せるユピテルしかありえない。PC間の人間関係をスムーズに進めるにはうってつけの存在だったというわけだ。
 キャラクタークリエイトはTRPGにとって特に重要なステップだ。戦いはセッションが始まる前に既に始まっているというわけだ。1つの卓に4人から5人いるPCたちのなかで目立つためにはある程度突拍子もない設定をつける必要がある。例えばロボットとかだ。
 しかしあまりにも突拍子もなさすぎると様々な面でシナリオ上の困難を呼び込むことになる。例えばフェイドの「人間の感情を理解していない」というのも1つの困難だ。いつもならすんなりいくやり取りがややこしいことになる危険性をはらんでいる設定であるからだ。しかしまあこれくらいならまだいい方というのが、いろいろな卓を野良で経験した私の率直な感想でもある。
 その点、一見奇抜な設定ながらシナリオを円滑に回す役割を担うキャラクターを作り上げたPLである矢野俊作は見事だった。流石に作者ご本人は伊達ではないということか。
 ロールプレイングは役割を演じるという意味だ。ただのなりきりではなくて、役割を演じるのだというのがTRPG初心者によく言われるアドバイスだ。支部長だから周囲の人間関係をきちんと円滑に回すというのは、まさに役割を演じることを全うしていると言えるだろう。

 そういう意味では、PLとしてのスタンダードも志向したのが本作だと言えるだろう。型なくして型破りなし、王道なくして邪道なし。「私の狂気は君たちの神が保障してくれる」的なやつである。
 様々なTRPGシステム、リプレイ動画が乱立する中でもう1度立ち返りたい基本である。

 さて、今まで1年以上定期的にやってきた連載だったが、来年から不定期更新にすることにした。知っての通り?小説を書き始めたので時間的なリソースの分配を考え直す必要が出てきたという理由と、やっぱり4冊から5冊1つのテーマで選んでくるのが大変という理由がある。そんなに系統立てた読書経験はしていないのだ。それに、定期的に更新しようとすると結局記事1つのクオリティが落ちてしまうという問題もある。
 これからは書評を書きたい本があったら書くというスタイルにしていくので、また機会があれば読んでいただければと思う。
posted by 新橋九段 at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書狂の冒険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする